民間人のくふう

屋上とスピッツとジャニーズが好きなヤツの雑談

推敲版)はじまりはいつも唐突なものさ V6のいた26年間

noteに載っけるにあたって推敲したら完全にこっちのほうが良くなったので、大枠は同じですけど一応再掲しておきます。構成って大事!

 

====

 

V6解散まであと1週間を切りました。発表からおよそ半年。本当に「その日」は来てしまうんですね…。

もしあなたがV6ファンで、今日がまだV6の活動期間中だったら、今すぐこの画面を閉じてください。V6の映像、文章。11月1日で見られなくなるものがたくさんあります。こんなしょうもない記事を読むことに貴重な時間を使わないで下さい。

 

他のファンの皆さんと同じく、私の人生にもV6はたくさんの彩りをくれました。人生の大切なとき、そばにいて、背中を推してくれたのはいつもV6。V6のいない人生なんて、いまから思えばあり得なかった、と思います。

以下、どうでもいい自分語り、最後に記しておきたかったV6への感謝の気持ちです。

 

 

 

わたしがV6を好きになったのは、デビュー曲を披露した歌番組でした。95年夏クールに放送していた「金田一少年の事件簿」にドハマりしたことがキッカケで、

金田一にハマる→キンキに興味を持つ→歌番組を見るようになる→V6を知る

と流れ、当時小学4年生だったわたしはV6ファンに。

 

印象深いのがD×D。本当に本当にハマりました。当時のオカダは関西弁で、きゅるきゅると可愛くて、関西人の私には親しみやすい存在。一方わたしは中学受験生で、勉強のお供といえばラジオ。まだテープの時代、CDを買って欲しいと言い出せなかった小学生の私は、ラジオで流れたV6の曲をテープに録音して、歌詞を「パタパタペッピー」のノートに書き写すのが、受験勉強の合間のちょっとした息抜きでした。

歌の大辞テン夜もヒッパレ、Mステ…。受験生なのに結構見てました。V6の曲にたくさんの励ましをもらって、結構ムリ目な最難関校を受けたんですが無事に合格。

 

自力じゃ絶対に届かない別の世界に連れていってくれたV6。

V6は、小学生の私の「背中を押してくれる存在」でした。

 

さて中学に進学したものの、ジャニーズが好きだと言うのが恥ずかしくて友達にも親にも隠していたので、テレビやラジオで密かに応援するくらいでした。ただ、その頃からお小遣いで買い始めたのが雑誌「TV Kids」(テレキッズ)。実家にはまだ何冊か残ってます。

うちはテレビが家に1台しかなくて、ニュースをたくさん見る家だったので、PU-PU-PU-とか、新・俺たちの旅とかのドラマは見られず、テレキッズで情報を仕入れていました。当時VHSだったので、ラベルに貼る用のシールとかついてた笑。

反乱のボヤージュ」「忠臣蔵1/47」は録画して見た記憶が。この頃のオカダは、結構社会派というか重厚というか、いいドラマにたくさん出てましたよね。

唯一この頃こっそりアルバム「LUCKY」を買って、親にバレないように勉強机の奥底にしまっていたっけ…(しっかり通常盤初回を持っています笑)。

 

転機が訪れたのは高2の時。

中1からずっと仲良しの友人が「木更津キャッツアイ」のあたりからオカダにハマった!ということ。これはチャンス!と思って「実は私も昔から…」と告白し、生まれて初めてのV6仲間ができました。

CDを借りてMDに焼いて交換したり(この頃にはテープじゃなくてMDに進化笑)、ライブDVDやMV集を分担して買って貸しあったり、テレビの歌番組を見て感想で盛り上がったりして。

ふたりともオカダの横顔の鼻筋が好き、という点でも一致してました笑。

この頃はちょうど「サンダーバード」のあたり。カラオケに行ったらV6をひらすら歌って、Darlingの本人映像でシメるのが定番になりました笑。(おそらく)他のオカダ担と同じく最後のソロの「goodきてる〜」の笑顔に毎回ふたりでやられてました。この定番はいまも変わってません。

V6は私と友人の絆を、より強いものにしてくれました。

 

そして大学に入って、ようやくファンクラブにも入り、ついに現場デビュー。私たちの”現場”は、偶然にも握手会のほうが先でした。2005年の10周年で、大阪城ホールで5時間半並んで。握手した後は、近くのうどん屋で2時間くらい2人で放心。。。

そして次の日、初めてのライブ。ジャニーズのコンサートなんて、一般人は行かない別世界だと思ってたけど、本当に楽しかった。どうしてもっと早く行かなかったんだろう…。

大学時代は、だいたい大阪2、東京2、地方2、と3箇所のライブに一緒にいくのがお決まりでした。いっつも現場ではオカダは近くに来なくて、だいたいひろしかイノッチを好きになって帰ってくるんですよね。笑

荒唐無稽だったキャッツの映画、ホールドアップダウンを見るためにめっちゃ遠い映画館までひたすら歩いたこと(そしてオカダがかなり長時間凍っていて絶望した)、「虹を架ける王妃」の放送日?にいいともの観覧応募したら当たって、ゲストでドンピシャでオカダが来て友達と手を取り合ってめちゃくちゃ興奮したこと、遠征先の石川では後ろの方の席で全く見えなかったら急遽着席コンになったこと笑、D.I.S.にハマって梅田阪急の前の通りで2人で信号待ちしながら踊ったこと笑、大学の卒業旅行は北海道のきたえーるでVコンに参戦したあとトワイライトエクスプレス号に乗ったこと。

本当に楽しかった。

元家庭科部の我々は、ボイジャーTシャツのリメイクもしました。

あと、公認会計士を目指す友人と一緒に予備校のパンフをもらいに行ったら、表紙に載ってる男の人(横顔)がオカダそっくりで「本人!?」「いやまさか!?」「でもこの鼻筋やばない!?」と大騒ぎしたっけ…。

間違いなく、私の人生の縦軸になっていたV6。

V6は、学生時代の私と「共に歩んでくれる」存在でした。

 

 

そして社会人になるとき、私はひとつの誓いをたてました。

 

「V6の誰かを見るまでは辞めない」

 

東京のテレビの制作会社で働くことが決まって、めちゃくちゃキツい仕事だというのはわかっていて、親からも「3年経ったら辞めて帰ってきなさい」と言われていたし、堪え性のないわたしはきっとすぐ嫌になると思うけれど、でもV6を見るまでは絶対にやめないで頑張ろうと、それはちょっとした賭けのような、あるいは冗談のようなものでした。なぜなら、働いていたのは報道の現場で、V6はおろか、芸能人なんてひとりも見かけない職場だったから。

 

でも数年目にV6のメンバーを偶然遠くで見かけ、さらに数年後にV6の全員をたまたま見かけ、わたしの目標は「V6の誰かと仕事をするまでは辞めない」に変わりました。

それは本当に天文学的な確率でした。だってV6と報道番組なんて接点が全くない上、わたしは記者だったからです。たぶん一生叶わない、って思ってました。

 

でも社会人になって10年ほど経ったころ、ものすごくいろんな偶然が重なり合って、V6のとあるメンバーとお仕事できました、わたしが作ったVTRを見てくれました、カンペも出しました。本当にしぬかと思ったし、今でもしぬかと思っています。その録画は何回みたかわからない。

 

そしてV6解散の一報をきいたのは、初めてチーフディレクターを担当した番組の収録が終わって、カンペをもつ手が疲れすぎてガクガクになって、震える手でスマホの電源を入れたときでした。あの時のあの光景は一生忘れないと思います。

 

V6は、社会人になった私の「手を引いて導いてくれる」存在でした。

 

 

私の人生には、いつもV6がそばにいました。

結婚するつもりだった相手と別れて引っ越して、家具のない部屋でレコーダーの配線がまだ出来ていないなか初披露されて、地べたに座って目に焼き付けたwait for you。

今までは1名義で何公演も取れていたのに急にチケットが取れなくなって、入れなかったけど友人とグッズだけ買いに行った2015年のアニバコン。友人の腕には生まれたばかりの子どもが抱かれていて。

めちゃくちゃブラックな部署で週3徹夜してたせいで行けなかった、2015年デビュー日の代々木。

めちゃくちゃツラかったけど、健くんの「やるならとことんやれ」の言葉を心の中で繰り返しながら、半泣きでひとりでやり切った調理ロケ。

ようやく取れた2017年のワンズコン、友人は2人目を妊娠中のため座って見ていて、トロッコが来たから「きたよ!」と声をかけたものの進みが思いの外ゆっくりで、体調が心配でヤキモキしたこと。

 

 

そして今年のコンサートも、いつもの友人と一緒に参戦することができました。

 

公認会計士になり母になり、もうすぐ夫の海外赴任について日本を離れる友人と、そろそろプロデューサーになれそうだけど第一線を退いてでも海外大学院の受験勉強に本腰を入れたい、まだ独身の私。

 

 

これが私とV6の26年間です。

あの時10歳だった私は36歳になりました。自分の居場所も世の中も随分変わったけれど、V6のことが大好きだ、という気持ちは何も変わらずにここまできました。きっとこの先も変わらないと思います。V6が6人で集まって何か新しいものを発信する機会が失われてしまうのは途方もなく淋しいけれど、これからも6人のことを応援し続けるし、この先の私の人生にもV6は必要不可欠な存在です。

 

V6のみなさん、今までありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

 

V6に出会えたことは私にとって宝物です。

 

最後に、わたしのいちばん好きなV6の曲を添えて。

 

www.youtube.com