民間人のくふう

屋上とスピッツとジャニーズが好きなヤツの雑談

宮舘くんの好きなとこ30個いいたい

 

宮舘涼太くん、30歳のお誕生日おめでとうございます〜!!

ということで、大・大・大好きな宮舘くんの、特に好きなところをザラっと30個言いたいと思います。

 

01)サラツヤの髪の毛

02)とっても上品で形のいい目と、涙袋

03)笑うとハートになる口

04)しょっちゅうぺろっとしてる舌

05)上重の頭蓋骨と涼しげな輪郭

06)プク顔

07)いつもぴんとしている姿勢

08)厚みのある胸板

09)高い位置にある腰(ショート丈がよく似合う)

10)お尻

11)とにかく長い脚

12)太めのパンツを履いている時はわからないのに、スキニーを履くと顕著になるキュッとした太もも

13)実はすごく細い足首(最近なにかの雑誌でみてものすごくときめいた)

14)気が抜けた時の、おっとりゆっくりとした喋り方

15)その割に言葉選びが独特なところ

16)でも、バラエティでは頑張って気を張っているところ

17)スタッフの反応を誰よりも見ているところ

18)指先まで気が配られた、しなやかなダンス

19)ゴールを明確に設定しているところ(ダンスも、生き方も)

20)移動はちょっと苦手っぽいけど、常に周囲を確認して微調整を繰り返すところ

21)ポージングの完璧さ(特に体重のかけ方)

22)Snow Manです!の時の言い方。語尾を伸ばさないところ。

23)「ありがとうございます」の時、必ず拍手の前に深く礼をするところ

24)祈る時は合掌スタイルなところ

25)心臓の強さ(瞬間的な度胸も、継続的な強さも)

26)努力を惜しまないところ

27)総じて大人なところ

28)ファンを誰よりも大事にするところ

29)ブレないところ(考え方も、好きなものも、体幹も)

30)存在全て

 

ダメだ、30個なんて全く足りない。30万項目ぐらい書きたい…。

 

あなたの存在自体が魔法です。

宮舘くんの30代も素晴らしいものでありますように。

 

【まだ下書き】滝沢歌舞伎2021の感想

 

 

 


ひらりと

ずっとスンとした顔でほとんど笑顔なし かわいい

新たなる旅立ちだ、でもグイっとしゃがまなくなった 映画からそうだけどちょっと寂しいな〜あそこが好きだった

 


殺陣

ノールックですっぽんに飛び込んでた、ホントなにも見ずに、足元もみてなかったかっこよすぎる

 


マイフレ

次々体勢を変えててかっこよい 優雅すぎ、あと筋肉どれほどあるんや、ぶら下がった感じから逆立ちして足かけるとか無理無理すぎる

 

 

 

ブラッゴー

体幹やばい 下半身のぶれなさ半端ない

ジャケットを肩から落ちる感じに着ててすてき、しかしあのジャケットの色しぶいな、ビカビカゴールドじゃ無いのがまた良い。歌うまい。膝下の動きが驚異的…。足首とか。クイッて動かす感じ。すごい。

 


お化粧

ニコニコしながらひーくんとしゃべってた。モニタリングの話題でゆり組、とふられて「一番喜んでるのは園長先生」「うちのひーくんもいましたからね」

粉の量をめちゃくちゃ減らしててかわいい。全然舞ってなかった。指の間もめちゃ丁寧に白塗りしてた。

 


刀投げ

投げ終わった後の左手 すき

 


花鳥風月

ほとんど見えなかった、、しょぴとほぼかぶっており。でもやっぱり圧倒的。めっちゃいい。前髪をかき上げているのがすごく似合ってた。

 

 

ベンチがガタっていきそうで怖い。しかし可愛い犬。

推敲版)はじまりはいつも唐突なものさ V6のいた26年間

noteに載っけるにあたって推敲したら完全にこっちのほうが良くなったので、大枠は同じですけど一応再掲しておきます。構成って大事!

 

====

 

V6解散まであと1週間を切りました。発表からおよそ半年。本当に「その日」は来てしまうんですね…。

もしあなたがV6ファンで、今日がまだV6の活動期間中だったら、今すぐこの画面を閉じてください。V6の映像、文章。11月1日で見られなくなるものがたくさんあります。こんなしょうもない記事を読むことに貴重な時間を使わないで下さい。

 

他のファンの皆さんと同じく、私の人生にもV6はたくさんの彩りをくれました。人生の大切なとき、そばにいて、背中を推してくれたのはいつもV6。V6のいない人生なんて、いまから思えばあり得なかった、と思います。

以下、どうでもいい自分語り、最後に記しておきたかったV6への感謝の気持ちです。

 

 

 

わたしがV6を好きになったのは、デビュー曲を披露した歌番組でした。95年夏クールに放送していた「金田一少年の事件簿」にドハマりしたことがキッカケで、

金田一にハマる→キンキに興味を持つ→歌番組を見るようになる→V6を知る

と流れ、当時小学4年生だったわたしはV6ファンに。

 

印象深いのがD×D。本当に本当にハマりました。当時のオカダは関西弁で、きゅるきゅると可愛くて、関西人の私には親しみやすい存在。一方わたしは中学受験生で、勉強のお供といえばラジオ。まだテープの時代、CDを買って欲しいと言い出せなかった小学生の私は、ラジオで流れたV6の曲をテープに録音して、歌詞を「パタパタペッピー」のノートに書き写すのが、受験勉強の合間のちょっとした息抜きでした。

歌の大辞テン夜もヒッパレ、Mステ…。受験生なのに結構見てました。V6の曲にたくさんの励ましをもらって、結構ムリ目な最難関校を受けたんですが無事に合格。

 

自力じゃ絶対に届かない別の世界に連れていってくれたV6。

V6は、小学生の私の「背中を押してくれる存在」でした。

 

さて中学に進学したものの、ジャニーズが好きだと言うのが恥ずかしくて友達にも親にも隠していたので、テレビやラジオで密かに応援するくらいでした。ただ、その頃からお小遣いで買い始めたのが雑誌「TV Kids」(テレキッズ)。実家にはまだ何冊か残ってます。

うちはテレビが家に1台しかなくて、ニュースをたくさん見る家だったので、PU-PU-PU-とか、新・俺たちの旅とかのドラマは見られず、テレキッズで情報を仕入れていました。当時VHSだったので、ラベルに貼る用のシールとかついてた笑。

反乱のボヤージュ」「忠臣蔵1/47」は録画して見た記憶が。この頃のオカダは、結構社会派というか重厚というか、いいドラマにたくさん出てましたよね。

唯一この頃こっそりアルバム「LUCKY」を買って、親にバレないように勉強机の奥底にしまっていたっけ…(しっかり通常盤初回を持っています笑)。

 

転機が訪れたのは高2の時。

中1からずっと仲良しの友人が「木更津キャッツアイ」のあたりからオカダにハマった!ということ。これはチャンス!と思って「実は私も昔から…」と告白し、生まれて初めてのV6仲間ができました。

CDを借りてMDに焼いて交換したり(この頃にはテープじゃなくてMDに進化笑)、ライブDVDやMV集を分担して買って貸しあったり、テレビの歌番組を見て感想で盛り上がったりして。

ふたりともオカダの横顔の鼻筋が好き、という点でも一致してました笑。

この頃はちょうど「サンダーバード」のあたり。カラオケに行ったらV6をひらすら歌って、Darlingの本人映像でシメるのが定番になりました笑。(おそらく)他のオカダ担と同じく最後のソロの「goodきてる〜」の笑顔に毎回ふたりでやられてました。この定番はいまも変わってません。

V6は私と友人の絆を、より強いものにしてくれました。

 

そして大学に入って、ようやくファンクラブにも入り、ついに現場デビュー。私たちの”現場”は、偶然にも握手会のほうが先でした。2005年の10周年で、大阪城ホールで5時間半並んで。握手した後は、近くのうどん屋で2時間くらい2人で放心。。。

そして次の日、初めてのライブ。ジャニーズのコンサートなんて、一般人は行かない別世界だと思ってたけど、本当に楽しかった。どうしてもっと早く行かなかったんだろう…。

大学時代は、だいたい大阪2、東京2、地方2、と3箇所のライブに一緒にいくのがお決まりでした。いっつも現場ではオカダは近くに来なくて、だいたいひろしかイノッチを好きになって帰ってくるんですよね。笑

荒唐無稽だったキャッツの映画、ホールドアップダウンを見るためにめっちゃ遠い映画館までひたすら歩いたこと(そしてオカダがかなり長時間凍っていて絶望した)、「虹を架ける王妃」の放送日?にいいともの観覧応募したら当たって、ゲストでドンピシャでオカダが来て友達と手を取り合ってめちゃくちゃ興奮したこと、遠征先の石川では後ろの方の席で全く見えなかったら急遽着席コンになったこと笑、D.I.S.にハマって梅田阪急の前の通りで2人で信号待ちしながら踊ったこと笑、大学の卒業旅行は北海道のきたえーるでVコンに参戦したあとトワイライトエクスプレス号に乗ったこと。

本当に楽しかった。

元家庭科部の我々は、ボイジャーTシャツのリメイクもしました。

あと、公認会計士を目指す友人と一緒に予備校のパンフをもらいに行ったら、表紙に載ってる男の人(横顔)がオカダそっくりで「本人!?」「いやまさか!?」「でもこの鼻筋やばない!?」と大騒ぎしたっけ…。

間違いなく、私の人生の縦軸になっていたV6。

V6は、学生時代の私と「共に歩んでくれる」存在でした。

 

 

そして社会人になるとき、私はひとつの誓いをたてました。

 

「V6の誰かを見るまでは辞めない」

 

東京のテレビの制作会社で働くことが決まって、めちゃくちゃキツい仕事だというのはわかっていて、親からも「3年経ったら辞めて帰ってきなさい」と言われていたし、堪え性のないわたしはきっとすぐ嫌になると思うけれど、でもV6を見るまでは絶対にやめないで頑張ろうと、それはちょっとした賭けのような、あるいは冗談のようなものでした。なぜなら、働いていたのは報道の現場で、V6はおろか、芸能人なんてひとりも見かけない職場だったから。

 

でも数年目にV6のメンバーを偶然遠くで見かけ、さらに数年後にV6の全員をたまたま見かけ、わたしの目標は「V6の誰かと仕事をするまでは辞めない」に変わりました。

それは本当に天文学的な確率でした。だってV6と報道番組なんて接点が全くない上、わたしは記者だったからです。たぶん一生叶わない、って思ってました。

 

でも社会人になって10年ほど経ったころ、ものすごくいろんな偶然が重なり合って、V6のとあるメンバーとお仕事できました、わたしが作ったVTRを見てくれました、カンペも出しました。本当にしぬかと思ったし、今でもしぬかと思っています。その録画は何回みたかわからない。

 

そしてV6解散の一報をきいたのは、初めてチーフディレクターを担当した番組の収録が終わって、カンペをもつ手が疲れすぎてガクガクになって、震える手でスマホの電源を入れたときでした。あの時のあの光景は一生忘れないと思います。

 

V6は、社会人になった私の「手を引いて導いてくれる」存在でした。

 

 

私の人生には、いつもV6がそばにいました。

結婚するつもりだった相手と別れて引っ越して、家具のない部屋でレコーダーの配線がまだ出来ていないなか初披露されて、地べたに座って目に焼き付けたwait for you。

今までは1名義で何公演も取れていたのに急にチケットが取れなくなって、入れなかったけど友人とグッズだけ買いに行った2015年のアニバコン。友人の腕には生まれたばかりの子どもが抱かれていて。

めちゃくちゃブラックな部署で週3徹夜してたせいで行けなかった、2015年デビュー日の代々木。

めちゃくちゃツラかったけど、健くんの「やるならとことんやれ」の言葉を心の中で繰り返しながら、半泣きでひとりでやり切った調理ロケ。

ようやく取れた2017年のワンズコン、友人は2人目を妊娠中のため座って見ていて、トロッコが来たから「きたよ!」と声をかけたものの進みが思いの外ゆっくりで、体調が心配でヤキモキしたこと。

 

 

そして今年のコンサートも、いつもの友人と一緒に参戦することができました。

 

公認会計士になり母になり、もうすぐ夫の海外赴任について日本を離れる友人と、そろそろプロデューサーになれそうだけど第一線を退いてでも海外大学院の受験勉強に本腰を入れたい、まだ独身の私。

 

 

これが私とV6の26年間です。

あの時10歳だった私は36歳になりました。自分の居場所も世の中も随分変わったけれど、V6のことが大好きだ、という気持ちは何も変わらずにここまできました。きっとこの先も変わらないと思います。V6が6人で集まって何か新しいものを発信する機会が失われてしまうのは途方もなく淋しいけれど、これからも6人のことを応援し続けるし、この先の私の人生にもV6は必要不可欠な存在です。

 

V6のみなさん、今までありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

 

V6に出会えたことは私にとって宝物です。

 

最後に、わたしのいちばん好きなV6の曲を添えて。

 

www.youtube.com

はじまりはいつも唐突なものさ V6のいた26年間

V6の皆さん、9月4日、結成日おめでとうございます。

そして無事にコンサート初日の幕が開いたことを、とても嬉しく思います。

 

他のファンの皆さんと同じく、私の人生にもV6はたくさんの彩りをくれました。

人生の大切なとき、そばにいて、背中を推してくれたのはいつもV6でした。

V6のいない人生なんて、いまから思えばあり得なかった、と思います。

 

以下、完全なる私の物語、ただの自分語りです。

 

 

 

わたしがV6を好きになったのは、デビュー曲を披露した歌番組でした。

youtu.be

 

なんでV6を好きになったんだっけ?と思って今年調べ直したところ、どうやら95年夏クールに放送していた「金田一少年の事件簿」にドハマりしていたことがキッカケでした。

金田一にハマる→キンキに興味を持つ→歌番組を見るようになる→V6を知る

という流れで、当時小学4年生だったわたしはV6ファンに。

なかでも推しは健くんでした。

 

ところが、そんな私に転機が。

ある日、夢に岡田くんが出てきたんですよ……困りますオカダさん…好きになっちゃう…。

その夢の映像は本当に今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。

というわけで、その日を境に軽率にオカダ担の人格が誕生。

日付は覚えてないんですが、ティガの放送開始よりは後で、D×Dよりは結構前、って調べると96年後半〜97年くらいでした。

middle-edge.jp

 

D×D、本当に本当にハマってた…。

当時のオカダは関西弁で、きゅるきゅると可愛くて、関西人の私には親しみやすい存在でした。

その頃わたしは受験生で、家での勉強のお供といえば伯母にもらったラジオ。

ラジオ大阪「ブンブンリクエスト」を聴きながら受験勉強をする、というのが日々の楽しみでした。

まだテープの時代、CDを買って欲しいなんて言い出せなかった小学生の私は、

ラジオで流れたV6の曲をテープに録音して、歌詞を「パタパタペッピー」のノートに書き写すのが、受験勉強の合間のちょっとした息抜きでした。

www.sanrio.co.jp

 

愛なんだ、本気がっぱい、WAとかはモロ受験中で、

歌の大辞テンとか、夜もヒッパレとか、受験生なのに結構見てたし笑。

この時期かはわからないけど、マジカル頭脳パワーにもわりと頻繁に出てましたよね。

youtu.be

youtu.be

youtu.be

 

無事受験も受かって進学したものの、

その頃、ジャニーズが好きだと言うのが何となく恥ずかしくて友達にも親にも隠していたので、

テレビやラジオで密かに応援するくらいでした。

 

ただ、その頃からお小遣いの額が増えて、買い始めたのが雑誌「TV Kids」(テレキッズ)。

auctions.yahoo.co.jp

このリンクがうまく見られるかわからないけど。笑

実家にはまだ何冊か残ってます。捨てずに全部置いておけばよかった!

うちはテレビが家に1台しかなくて、けっこうニュースをたくさん見る家だったので、

PU-PU-PU-とか、新・俺たちの旅とかは、ドラマは見られずテレキッズで情報仕入れてました。

撮影の裏側とかが結構詳しく載ってたりして。

あと、当時まだVHSだったので、ラベルに貼る用のシールとかついてた笑。

反乱のボヤージュ」「忠臣蔵1/47」は録画して見た記憶があります。この頃のオカダは、結構社会派というか重厚というか、いいドラマにたくさん出てましたよね。

唯一この頃こっそりアルバム「LUCKY」を買って、親にバレないように勉強机の奥底にしまっていたっけ…(しっかり通常盤初回を持っています笑)。

 

転機が訪れたのは高2の時。

中1からずっと仲良しの友人が「木更津キャッツアイ」のあたりからオカダにハマった!ということ。これはチャンス!と思って「実は私も昔から…」と告白し、生まれて初めてのV6仲間ができました。

CDを借りてMDに焼いて交換したり(この頃にはテープじゃなくてMDに進化笑)、ライブDVDやMV集を分担して買って貸しあったり、テレビの歌番組を見て感想で盛り上がったりして。

ふたりともオカダの横顔の鼻筋が好き、という点でも一致してました笑。

 

この頃はちょうど「サンダーバード」のあたりでした。

youtu.be

 

で、カラオケに行ったらV6をひらすら歌って、DarlingのMVでシメるのが定番になりました笑

(おそらく)他のオカダ担と同じく最後のソロの「goodきてる〜」の笑顔に毎回ふたりでやられてました。この定番はいまも変わってません。

 

youtu.be

 

そして大学に入って、ようやくファンクラブにも入り、ついに現場デビュー。

私たちの”現場”は、偶然にも握手会のほうが先でした。

2005年の10周年で、大阪城ホールで5時間半並んで。握手した後は、近くのうどん屋で2時間くらい2人で放心してました。。。

そして次の日は初めてのライブ。ジャニーズのコンサートなんて、一般人が行かない別世界だと思ってたけど。本当に楽しかったな〜〜。どうしてもっと早く行かなかったんだろうって後悔しました。

youtu.be

 

大学時代は、だいたい大阪2、東京2、地方2、と3箇所のライブに一緒にいくのがお決まりでした。いっつも現場ではオカダは近くに来なくて、だいたいひろしかイノッチを好きになって帰ってくるんですよね。笑

 

さらにキャッツの映画もあったし、ホールドアップダウンを見るためにめっちゃ遠い映画館までひたすら歩いたし(そしてオカダがかなり長時間凍っていて絶望したし)、

虹を架ける王妃」の放送前日?にいいともの観覧応募したら当たって、ゲストでドンピシャでオカダが来て友達と手を取り合ってめちゃくちゃ興奮したし、

遠征先の石川では後ろの方の席で全く見えなかったら急遽着席コンになったし笑、

D.I.S.にハマって梅田阪急の前の通りで2人で信号待ちしながら踊ったし笑、

大学の卒業旅行は北海道のきたえーるでVコンに参戦したあとトワイライトエクスプレス号に乗ったし。

本当に楽しかった。

元家庭科部の我々は、ボイジャーTシャツのリメイクもしました。

 

あと、公認会計士を目指す友人と一緒に予備校のパンフもらいに行ったら、表紙に載ってる男の人(横顔)がオカダそっくりで「本人!?」「いやまさか!?」「でもこの鼻筋やばない!?」と大騒ぎしたっけ…。

 

youtu.be

 

V6は間違いなく、私の人生の縦軸になっていました。

 

 

そして社会人になるとき、私はひとつの誓いをたてました。

「V6の誰かを見るまでは辞めない」

 

東京のテレビの制作会社で働くことが決まって、めちゃくちゃキツい仕事だというのはわかっていて、親からも「3年経ったら辞めて帰ってきなさい」と言われていたし、堪え性のないわたしはきっとすぐ嫌になると思うけれど、でもV6を見るまでは絶対にやめないで頑張ろうと、それはちょっとした賭けのような、あるいは冗談のようなものでした。

なぜなら、働いていたのは報道の現場で、V6はおろか、芸能人なんてひとりも見かけない職場だったから。

 

でも数年目にV6のメンバーを偶然遠くで見かけ、さらに数年後にV6の全員をたまたま見かけ、わたしの目標は「V6の誰かと仕事をするまでは辞めない」に変わりました。

それは本当に天文学的な確率でした。だってV6と報道番組なんて接点が全くない上、わたしは記者だったからです。たぶん一生叶わない、って思ってました。

 

でも社会人になって10年ほど経ったころ、ものすごくいろんな偶然が重なり合って、V6のとあるメンバーとお仕事できました、わたしが作ったVTRを見てくれました、カンペも出しました。本当にしぬかと思ったし、今でもしぬかと思っています。その録画は何回みたかわからない。

 

youtu.be

 

そしてV6解散の一報をきいたのは、初めてチーフディレクターを担当した番組の収録が終わって、カンペをもつ手が疲れすぎてガクガクになって、震える手でスマホの電源を入れたときでした。あの時のあの光景は一生忘れないと思います。

私の人生の節目節目には、いつもV6がそばにいました。

 

 

 

あと社会人になってからも勿論いろいろありました。

肉パンを模したウチワを作っていったら、近くに肉パンの4連がいて完全に負けたこと(しょーもな!)。

結婚するつもりだった相手と別れて引っ越して、家具のない部屋でハードディスクの配線がまだ出来ていないなか初披露されて、床に座って見たwait for you。

youtu.be

 

今までは1名義で何公演も取れていたのに急にチケットが取れなくなって、入れなかったけどグッズだけ買いに行った2015年のアニバコン。

めちゃくちゃブラックな部署で週3徹夜してたせいで行けなかった、2015年デビュー日の代々木。

あ、あとセクバニコンあたりから、じわじわと健くん単担に戻りました。時はサークルを描く、ということか?笑。

 

そして今年のコンサートも、いつもの友人と一緒に参戦する予定です。

母になり、もうすぐ海外赴任する友人と、そろそろ第一線を退く代わりに海外大学院の受験勉強に本腰を入れ始めたまだ独身の私。

 

 

これが私とV6の26年間です。

あの時10歳だった私は35歳になり、自分の居場所も世の中も随分変わったけれど、V6のことが大好きだ、という気持ちは何も変わらずにここまできました。きっとこの先も変わらないと思います。V6が6人で集まって何か新しいものを発信する機会が失われてしまうのは途方もなく淋しいけれど、これからも6人のことを応援し続けるし、この先の私の人生にもV6は必要不可欠な存在です。

 

V6のみなさん、今までありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

V6に出会えたことは私にとって宝物です。

最後に、わたしがいちばん好きなV6の曲を添えて。

 

youtu.be

 

(なんか楽しくなってたくさん動画埋め込んでしまってすみません〜!)

 

趣味・特技の強化による、宮舘涼太メディア露出促進のご提案

※この記事は半年ぐらい前から書いちゃ直し書いちゃ直しして、更新のタイミングを逃しまくっていたものです。そのため、若干情報が古いなと感じる部分があるかもしれませんがご容赦ください※

 

宮舘涼太くん。

26歳のお誕生日、おめでとうございます!

 

宮舘くん。25歳は、宮舘くんにとって、どんな年でしたか?

横アリ単独から始まり、YouTube御園座杮落とし、サマパラ、舞台少年たち、時代劇、滝沢歌舞伎ZERO、アイランドTV、映画少年たち…えぇと、他にも数えきれないくらい活躍の数々。

たくさんの初めてと、たくさんの進化。

Snow Manにとっても決断の年であり、変革の年であり、飛躍の年だったのではと思います。

そして26歳の宮舘くんもきっと、さらなる進化を遂げるべく、視線は上へ上へと向いていることでしょう。振り向かない、って言っていたもんね。

 

私は去年、初めてSnow Manをきちんと認識しました。

その活躍の幅を知らなかったので驚いたし、もっともっと活躍してほしいと願っています。そしてもちろん、自担である宮舘くんにも、さらに高みへのぼってほしい。個人のお仕事がどんどん増えるといい。

 

そうして、思うんです。

 

阿部くんが、頭脳を活かしてクイズ番組に出演しているみたいに。

岩本くんが、筋肉を活かしてTarzanで連載を持ったみたいに。

宮舘くんにも、特技・特徴を活かしたお仕事がもっと舞い込むといいのになー、なんて。

 

私はメディア関係の仕事をしています。

「ああ、今こういうタイミングでゲスト候補として『宮舘涼太』って名前が出せたらいいのにな…」と思うこと、たまにあります。

 

そこで。

超超余計なお世話なんですけど、今後、趣味・特技を少しだけ「強化」してみては?というご提案をしたいと思います。

ほんとド新規の戯言で恐縮ですが、どういう強みがあると呼びやすいか?と考えてみました。ただ、あまり手を広げすぎても良くないし、、、とananで宮舘くんも言っていたから、ピンポイントにいけたらと思います。

 

◆事務所内の現状

いま、事務所内で、誰がどんな趣味・特技を持って戦っているか、というのを一覧にしてみました。見づらくて申し訳ないです…。

 

私は多くの人について無知なので、情報はwikiやファンブログなどを参考にしました。

間違っているところも多いかと思います。ご指摘いただけると幸いです。意味もなくメンカラも入れてみましたー。

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さて。

この中で多いものというと、

ギター(12人)、サッカー(9人)、野球(7人)、料理(6人)、ピアノ(4人)…などでしょうか。

ただスポーツや楽器って、公言していなくても出来る人もいるし、更にその道のプロがたくさんいるから仕事につなげるのが難しかったりしますよね。(中居くんや亀梨くん、手越くんは偉大だ…)

 

さらに、それらを抜いた上で、趣味特技で仕事を獲得しているものだと、ざっくり

・料理(V6坂本くん、V6長野くん…)

スペイン語(翼くん)

・手話(V6三宅くん)

・英語(山P)

・文章力(NEWS加藤くん)

・ベース(関ジャニ∞丸山くん)

・ディズニー、サブカル(風間くん)

 

といった方々がいます。(ごめんなさい!若い方々本当にわからなくて><)

 

さらに。ライバルはもちろん事務所内だけじゃありませんよね。

世界遺産鈴木亮平さん)

・昆虫(香川照之さん)

・サックス(さかなクン

・神社(相川七瀬さん)

など、趣味で仕事(番組や連載など)を得ている方は多数います。(またまた例が雑でごめんなさい!)(こういうの検索ムズいですね)

また、○○芸人という方は本当に多くいて、その範囲はかなりニッチなところにまで及んでいます。

釣り、パチンコ、ゴルフなどはBS・CSの専門番組での仕事もありますね。

 

◆宮舘くんの現状

さて、では、宮舘くんの現状は…?

 

趣味:料理、亀梨くん、洋服&靴集め

特技:花言葉、サーフィン、スケボー

出来ること:ダンス、アクロバット、歌、三味線(少し)

その他:野球、サッカー、ハワイアンジュエリー?ギター?

始めたいこと:乗馬、日本舞踊

 

ごめんなさい!ほんとうにド新規なので、わかる範囲で記しました。

YouTubeでは「今夜のオカズ 宮舘を添えて…」。やっぱりご本人としても料理を推していきたいんだと思うんですよね。

 

でも、ひとつ考えたいのは、料理という切り口はとても難しいということ。

 

こちらは、2018年10月の記事なのですが。

https://www.oricon.co.jp/special/51913/

 

オリコンの「”料理上手”な有名人ランキング」。総合1~10位に、ジャニーズ所属の人はいません。(年代別だと10代にV6からふたり入っているけど!!)

 

各コメントなどを見ていると、「料理上手・美味しいレシピ出している人」と「主婦系(=時短料理・お手軽料理の人)」に大別できるようです。身近であることがすごく重要というか。坂本くん・長野くんもすごく料理上手なのにな~。(長野くんはグルメの面が強すぎるのかもしれないですけどね)

 

宮舘くんが普段作ってる料理って(雑誌とかで話してるイメージだと)結構「洋」で、難しめの料理、よそゆき料理が多いって印象があります(でもすごく時短だってふっかが言ってましたが)。「宮舘を添えて」の初回はローストビーフメインでしたし、あと何だっけ?パエリアとか。

つまり現状だと、実際に料理が上手であるにも関わらず、「料理」での仕事を得るのはものすごくハードルが高いのでは?と思うのです。

 

そこで。

 

◆宮舘くんへのご提案

提案①「料理」に、ひと枠、足しませんか?

 ふつうの「料理上手な芸能人」から頭ひとつ抜け出したい!それならば、何かもうちょい欲しいなと思うところ。

 

案A)特定のジャンルの料理に特化する

 これは、ものすごいピンポイントな特技を持つ芸人さんが活躍しているのと考え方は同じです。

BBQ芸人、コーヒー芸人、、、超ピンポイントなら、ライバルが減ります。

その結果、数は少ないかもしれないけれど、確実にメディアからの需要は増えます。

ただ、それも何を選ぶかが難しいポイント。

だてくんは今は洋食に強いんだと思うんですけど…。

例えば、ほんと例えばよ。「おにぎり」についてめっちゃ詳しくなるとか。

鍋物」なら世界中なんでも作れるよ!とか。意外とそういうのどうでしょうね?鍋物は季節限られるけど、毎年需要はあります。

あと、何かの雑誌で「出汁をとる料理に挑戦したい」と言ってたので、思い切って和食に舵を切るって手もある。和食×時短ってあんまり聞かなくないですか?私も知りたい!だてくんお願い!

 

案B)資格を取る。

 あべちゃんが何故、クイズ番組に呼びやすいか。

それは「気象予報士」という、わかりやすい資格を持っているからだと思います。合格率4%!→頭いい!ってわかりやすいですよね。

私もゲストをブッキングする事が、ごくたまにあるんですが、やっぱり資格や肩書って強い。似たような話を聞けるなら「○○に詳しいor好きな人」より「○○の資格を持つ人」のほうを優先しろってなります。

そこで、お料理に関する資格をとるのはどうでしょうか?

よじごじで大活躍中の長野パイセンは調理師免許を持っています。(でも専門学校行かなきゃいけないみたいですね(調理の現場で働くのは物理的に難しそうなので))。あと野菜ソムリエも持ってます…。

ならば。もうちょっと難易度を下げて、フードコーディネーターはどうでしょう?

実はコレ、現場的にもすごく助かる話です。

というのも、番組の料理コーナーとかで料理をちゃんと見せようと思ったら、フーディーさんを呼ぶんですね。で、きれいに盛り付けとかしてもらう。

でもそれを、料理ができるタレント本人が担っていたらめちゃくちゃ助かると思うんです。調理師免許に比べるとインパクトは弱いかもですが、そのぶん取得する際のハードルは低いです。忙しい宮舘くんにはちょうどいいんじゃないかな…。

あと、ワインソムリエも面白いんじゃないかと思うんですよね。貴族イメージとも合うし。ただテレビじゃなくて雑誌向きかも…?

 

提案②「和」で勝負する

 宮舘くんがやりたいと言っていた乗馬と日舞。めっちゃイイと思います。あと三味線もぜひ続けてほしい。

もうひとつ、花言葉を武器として持っていることですし、生け花を学ぶという手もある。花言葉は今は「おもしろ芸」って感じになってますけど(大好き!)、もうひと展開あるとさらに面白い気がするんですよね~。

超個人的なことを言えば、短歌・俳句を作るってどうでしょう?キスマイパイセンがかなり出来るから難しいかな?実は私も短歌を趣味にしてるから、だてくんの短歌を見てみたいってだけなんだけど。独自のワードセンスを持っているから、思いもよらないギュンとくる作品になりそう。

 

●その他 

以下は心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく箇条書きします。

 

スラックライン 体幹がしっかりしてるし、編集長にも気に入られてそうだった。活躍の場は少ないかもしれないけれど、業界内でのライバルも少なそう。

・服飾系 今回、衣装プロデュースしたというので。資格とかあるのかな?(無知)もしくは「手芸」に挑戦してみるのはどうでしょ?一時期流行りましたよね、裁縫男子。ドル誌での手芸も素晴らしい出来だったし。料理と合わせて「女子力男子」みたいな。まーこの時代だから言い方がな、難しいわな。

・自転車 チャリ舘ということで…笑。自転車はハヤってますから。けっこう雑誌とかイベントもあるし、仕事はありそう。女子アナの知り合い(結構有名)も、自転車関連の仕事ガンガンあるみたい。

・写真(カメラ) 宮舘くん、始めないかなー??写真が趣味の男性ってすごくかっこいいし。だてくんが切り取る世界を見てみたい。折角同じグループに、向井くんというカメラ男子がいることですし、教えてもらうとよいのでは?

・リアル脱出ゲーム 先日のYouTube企画は出題があまりにお粗末だったので(急な毒舌)、きちんとしたものをみんなでやって欲しいな~。ほら閉じ込められる系の、10人でやるやつとかあるし。

 

 

以上で、非常に簡単ではありますが、提案を終わらせていただきます。

大変お忙しい中恐縮ですが、ご検討のほど、何卒宜しくお願いいたします。

風も桜も雪もぼくも

「月雪花は一度に眺められぬ」

そんなことわざがあるらしい。

 

良いことが一度に揃うなんて有り得ない、という意味だそうだ。

 

月の出る晴れた夜には雪は降らない。

雪が降ると花は隠れて見えない。

花が咲く昼間には、月は出ない。

 

でも。

月も雪も花も、一度に見られる舞台がある。

京都南座で今日が千秋楽、4・5月には新橋演舞場で公演が行われる「滝沢歌舞伎ZERO」だ。

 

オープニングから大量に舞う桜吹雪は、まるで時が置き忘れた桃源郷

二部では桜の舞う夜、重く大きくたれこめる月の下での殺陣。

そしてエンディングでは、客席に本物の雪が降る。

それは本当に想像を超えた和のエンターテイメントで、時間も、空間も、虚実ですらも超越した、その先の、ただただ美しくて静謐な世界。

 

主演しているのは、ジャニーズJr.の「Snow Man」。

 

はいこれ。これが言いたかったんです。

今週のお題が雪だなんて言われたら。Snow Manって言わなきゃおさまらない身体になってました。ごめんなさい。笑

 

折角だからステマダイマ?させてください。

 

Snow Man

ジャニーズJr.の9人組です。

タッキーの最初の改革として増員したグループ、と言えば何となく聞いたような気がする人もいるのではないでしょうか。

いや、きっと聞いたことがあるなーって思った人はジャニーズに随分詳しい人。

普通、知らないグループに知らない人が増えたとて知らない…。 

 

でもね、今日は言わせて欲しい。

彼らもまた「3点そろい踏み」の人たちなのだ。

ダンスも、歌も、バラエティーもこなして、

かっこよさと、可愛らしさと、セクシーさが共存していて、

大人であり、子どもでもあり、そして ”アイドル” でもある。

 

諸行無常と歌いながら、艱難辛苦を乗り越えて、群雄割拠のアイドル戦国時代を往くその姿は、いわば雪中九友。

 

今はまだ、雪の中にいるのだ。

雪の中で身を寄せ合って、ひそやかに蕾を膨らませる9つの花。

でも、いずれ狂おしく咲き乱れる日が来ることを、私たちは知っている。

来るべき未来を、「その日」を信じているからこそ、きっとずっと、ついて行こうと思うのだ。

 

 

今週のお題「雪」

There will be love there  -Snow Man 9人体制によせて-

 

ここ数日、毎日のようにいろんな事があって感情が追いつかない。

 

何かあるたびごとに気持ちがグラグラ揺らいでる。きっと今後も、毎日のように一喜一憂するんだろうなー。

だから、「今」の想いを残しておくのはとても困難で、何を書いてもなんか違うってな事になりそう。 

 

ただ、関ジャニDVDGR8EST」の特典映像『6人で迎える初夜』(なんてタイトルだ!)を見て、ものすごく思うことがあったので、いったん現状を置いておきたいと思います。

 

ここから先は完全に個人的な脳内の吐露です。もしかしたら不快に思う方がいるかもしれないですが、まあそこまで極端なこと書くつもりはないです笑。でもあんまり理論だてて書くのも違うと思うので、書きたいだけ書き散らかします。

 

===

 

 

 

9人体制を知ったのは、朝、職場の同僚からのLINEでした。しかも向こうは私が知っていると思っていて「Snow Manが9人になってもメリット何もないと思う」的な感じで来た。ビックリして飛び起きたけど、最初は、例の情報流出の話?いや違う?と混乱しました。すぐさまTLを辿るも、第一報(夜だったんですよね?)から時間が経っていたせいか、阿鼻叫喚の嵐で、なかなかソースにたどり着けない!え!?まってみんな死んでるけど本当なの!?ソース早く!ってメチャクチャ焦りました。

 

きちんとしたソースに行きあたって、最初に出てきた言葉は「無理」でした。

何が「無理」と感じたのか?それは、彼らの完成されたパフォーマンスと、 ”完成された” 空気感が失われるのが悲しかったからだと思う。

 

私は元々、長年のV6担です。Snow Manを好きになった入口は宮舘くんだった。ただ、youTubeでひとりひとりのキャラクターを知って、全員に好感をもったこと、V6との親和性をたくさん感じたこと、箱推しできるグループだなと感じたことがすごく大きい。それが変わる?この空気感もなくなる?というのは喪失感しかありませんでした。ひとの集まりって、本当にちょっとした事で雰囲気変わるし。私の知ったSnow Manは長く推してきた人たちが見てきたSnow Manとはまた違っていると思うけれど、わたしは、Snow Manの、何ていうんだろう互いに認めあって信頼している感じというか。だからこそ素を出せる感じというか。ギュっとまとまっている感じというか。ただの仲のいい6人組だけじゃない、その感じが好きだった。本当、例えるなら「雪の結晶」みたいな感じ、、、なのかな。それが失われるのはすごく悲しかった。悲しいっていうかもうスノじゃないやん、って感じなのかなあ。

 

ラウールくんが何者かわからなかったのも大きかった。誰かわからんけど15歳の子が入るって!?しかも出てきた写真ではセンター。今考えればそりゃセンターだよな、目玉だもん。でもその時は「え!?何!?知らんグループになった!」って思ってしまった。

 

ただ、少し経って(3日ぐらいかかったけど)なんか突然、腑に落ちた。9人っていうことが。何だっけな?キンプリが何かの歌番組で華々しく歌ってる姿を見て「ああ、Snow Manも近々こんな風にキラキラしながら、『ジャニーズから新グループデビュー!!』なんてみんなに迎えられて、バラエティー巡りをやって、ドラマにも出て映画にも出てってなるんだろうな」って考えたら突然楽しみになったんです。カウコンでは年齢制限で出演できないラウールにみんなが駆け寄ってわちゃわちゃするの、見たさしかない笑。もしかしたら3人の加入によって、わたしが勝手に "デビューが近づいた空気" を感じたのかもしれない。ド新規であるわたしにとって、それが自分がSnow Manを好きになって初めて起きた「変化」だったからかな?自分でもよくわからないです。とにかく急にフッときた。

 

個人的には関西人なので関ジュのことはまるっと好きで、向井くんももちろん大好き。向井くんはスノと親和性が高そうだなっていうのはずっと前から思っていて、年も近いし、きっといい化学反応が起きると思う。そこはすっごく楽しみ。

 

目黒くんはあまり知らなかったけど、こないだ滝沢歌舞伎2018DVDを見たら意外と宮舘くんと絡んでて可愛かった。おとなしそうなイメージあるけど、実はツッコミっぽい空気を感じ取ったんだけどどうだろう?イケメンツッコミはいいぞ!!

 

YouTubeの冒頭、初めて9人で出てきた時、いや人数多いな!と突っ込んだけど、思ったより違和感なかったし、ラウール君が思ったよりショタではなかったのにびっくりした笑。よく10個も年上に馴染めるね笑!?ラウールすごいよ笑!!!たくさん心配したけど、その必要なかったかもな。

 

本当にちょっとずつ3人の事も知って、現状合わないなって感じるメンバーもいなくて、自分としては安心&わくわく、って感じです。

 

 

 

でも、一度だけめちゃくちゃ辛かったことがあった。それが、最初の話に戻るんですけど。

関ジャニDVDGR8EST」の特典映像で『6人で迎える初夜』って企画があったんですよ。お布団が敷かれたセットでパジャマに着替えて、ただ全員で熟睡できればOK。ただもちろん彼らだから、すぐには寝ずに、お喋りしたりお酒飲んだり、UNOやったりしてワイワイするんです。

その中で、みんなが昔話する場面があって。「あの安い5個100円のお菓子やろ?昔めっちゃ食べたな!」「あそこのコンビニやろ?」「怒って携帯投げたとこやろ?」「すばるくんに怒られたよなー」なんて。

それを見た瞬間、Snow Man6人じゃなくなるのが、すごくすごく悲しくなった。

長く一緒に戦ってきたからこそたくさんできた思い出は、彼らの共通言語。それが共通じゃなくなってしまうこと、もう語られなくなるかもしれないことがすごく淋しい。こないだV6も、CDTVで、すごい昔の話してて「なつかしー!」なんて言って爆笑してた。ああいう感じは、暫くの間は見られなくなるんだろうな。本当はもっともっとたくさん見たかった。あの頃ああだった、こうだった、って、彼らにしかわからないあるあるを話して大爆笑してほしかった。去年の話も、一昨年の話も、ミスノ時代のことも、並列に話す彼らを見たかった。10代から一緒にいるからこその空気感を見たかった。勝手に考えたゲームを休憩時間にみんなでやった、って話を後で聞いて「あいつら仲良すぎ!」って思いたかった。何より6人全員が大好きだからー!6人の雰囲気が好きだからー!それこそV6と共通する、誰も傷つけないほんわかした平和な笑いで満ち満ちているところが好きだからー!アナタノコトガー!トゥキダカラー!!

 

彼らは優しいから、きっと新しい3人がわからない思い出とか持ち出さないだろな。だから、彼らの、 “9人のSnow Man” の思い出は今年から始まるってことだな。最初はぎこちないかもな~。どうだろ。どんな感じかな~。

でも、ひとつ言えるのは、ラウールくんにとっては、残り8人は間違いなく「10代からずっと一緒にいたメンバー」になるわけだ。だからV6で坂本くんとオカダの関係性のように、ここからたくさんエピソードが生まれるだろうし。10周年、20周年と経てば、自然と思い出話も増えていくだろう。

 

 

 

9人になって、良くなるかもしれない。もしかしたら、そうじゃないかもしれない。それはまだ誰にもわからない。ただひとつわかっているのは「変わってしまう」ということですよね。良くも悪くも。変わらないでほしいと願うのは人の常で、でも変わってゆくことを受け入れなければならないのは「うんめいですな、せつりですな」(by宮沢賢治)って感じっス。

 

 

超余談。

タイトルにした「There will be love there -愛のある場所-*1」って、同年代なら絶対知ってる、the brilliant greenの曲なんですけど、今回の増員を知ってた後シャッフルで偶然かかってきたこの曲の歌詞にギュンってなったんです。

 

大きな曲がり角を曲がったなら走り出そう

とまどうことはもうやめて

その先に何があるのかは分からないけど そう

強くあるために

 

"楽しみに待つ"とゆうこと

待つ時の楽しさも今では空っぽで 不安で一杯になる

悩みはいつも絶えなくて不満を言えばきりがない

全てに立ち向かう強さを下さい I believe...

 

ブリグリはこの曲で超売れたんですけど、それまでは完全英語詞っていうのをウリにしてたんですって。でも、ドラマタイアップが決まって「日本語の歌詞にしてほしい」と言われた。決断を迫られたメンバーは「日本語の歌詞にするけど、サウンドは変えない」と条件をつけて、結果、大ヒットしたって、どっかの記事で見ました。受け売りです笑。

 

There will be love thereって、訳すと「きっとそこには愛があるだろう」とかそんな感じだと思う。今はまだわからないけど、多分その場所には愛が生まれると思う。Snow Manが導いてくれる未来。愛で溢れる未来。「メンバーの人数は変わるけど、雰囲気は、ウリであるアクロバットやダンスのクオリティーの高さは変えない」。きっとそんなグループになると思える。

 

だから私は、迷いなく9人に、ついていくという選択をします。

 

 

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ここまで書いたあと、嵐の活動休止が発表されて、TVガイドで増員の顛末が語られました。

まーーた頭がぐちゃぐちゃになってきたぞ~~~。

でも一旦投稿します。。あとで書き換えるかも。。。

 

 

ちなみに、去年の秋からずっと書き続けててまだ終わらない「宮舘くんに新しい趣味のご提案」っていう記事を近々アップします!って書いとかなきゃこのままお蔵になりそうだったから書いときます!いつになるやら