民間人のくふう

屋上とスピッツとジャニーズが好きなヤツの雑談

はじまりはいつも唐突なものさ V6のいた26年間

V6の皆さん、9月4日、結成日おめでとうございます。

そして無事にコンサート初日の幕が開いたことを、とても嬉しく思います。

 

他のファンの皆さんと同じく、私の人生にもV6はたくさんの彩りをくれました。

人生の大切なとき、そばにいて、背中を推してくれたのはいつもV6でした。

V6のいない人生なんて、いまから思えばあり得なかった、と思います。

 

以下、完全なる私の物語、ただの自分語りです。

 

 

 

わたしがV6を好きになったのは、デビュー曲を披露した歌番組でした。

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なんでV6を好きになったんだっけ?と思って今年調べ直したところ、どうやら95年夏クールに放送していた「金田一少年の事件簿」にドハマりしていたことがキッカケでした。

金田一にハマる→キンキに興味を持つ→歌番組を見るようになる→V6を知る

という流れで、当時小学4年生だったわたしはV6ファンに。

なかでも推しは健くんでした。

 

ところが、そんな私に転機が。

ある日、夢に岡田くんが出てきたんですよ……困りますオカダさん…好きになっちゃう…。

その夢の映像は本当に今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。

というわけで、その日を境に軽率にオカダ担の人格が誕生。

日付は覚えてないんですが、ティガの放送開始よりは後で、D×Dよりは結構前、って調べると96年後半〜97年くらいでした。

middle-edge.jp

 

D×D、本当に本当にハマってた…。

当時のオカダは関西弁で、きゅるきゅると可愛くて、関西人の私には親しみやすい存在でした。

その頃わたしは受験生で、家での勉強のお供といえば伯母にもらったラジオ。

ラジオ大阪「ブンブンリクエスト」を聴きながら受験勉強をする、というのが日々の楽しみでした。

まだテープの時代、CDを買って欲しいなんて言い出せなかった小学生の私は、

ラジオで流れたV6の曲をテープに録音して、歌詞を「パタパタペッピー」のノートに書き写すのが、受験勉強の合間のちょっとした息抜きでした。

www.sanrio.co.jp

 

愛なんだ、本気がっぱい、WAとかはモロ受験中で、

歌の大辞テンとか、夜もヒッパレとか、受験生なのに結構見てたし笑。

この時期かはわからないけど、マジカル頭脳パワーにもわりと頻繁に出てましたよね。

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無事受験も受かって進学したものの、

その頃、ジャニーズが好きだと言うのが何となく恥ずかしくて友達にも親にも隠していたので、

テレビやラジオで密かに応援するくらいでした。

 

ただ、その頃からお小遣いの額が増えて、買い始めたのが雑誌「TV Kids」(テレキッズ)。

auctions.yahoo.co.jp

このリンクがうまく見られるかわからないけど。笑

実家にはまだ何冊か残ってます。捨てずに全部置いておけばよかった!

うちはテレビが家に1台しかなくて、けっこうニュースをたくさん見る家だったので、

PU-PU-PU-とか、新・俺たちの旅とかは、ドラマは見られずテレキッズで情報仕入れてました。

撮影の裏側とかが結構詳しく載ってたりして。

あと、当時まだVHSだったので、ラベルに貼る用のシールとかついてた笑。

反乱のボヤージュ」「忠臣蔵1/47」は録画して見た記憶があります。この頃のオカダは、結構社会派というか重厚というか、いいドラマにたくさん出てましたよね。

唯一この頃こっそりアルバム「LUCKY」を買って、親にバレないように勉強机の奥底にしまっていたっけ…(しっかり通常盤初回を持っています笑)。

 

転機が訪れたのは高2の時。

中1からずっと仲良しの友人が「木更津キャッツアイ」のあたりからオカダにハマった!ということ。これはチャンス!と思って「実は私も昔から…」と告白し、生まれて初めてのV6仲間ができました。

CDを借りてMDに焼いて交換したり(この頃にはテープじゃなくてMDに進化笑)、ライブDVDやMV集を分担して買って貸しあったり、テレビの歌番組を見て感想で盛り上がったりして。

ふたりともオカダの横顔の鼻筋が好き、という点でも一致してました笑。

 

この頃はちょうど「サンダーバード」のあたりでした。

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で、カラオケに行ったらV6をひらすら歌って、DarlingのMVでシメるのが定番になりました笑

(おそらく)他のオカダ担と同じく最後のソロの「goodきてる〜」の笑顔に毎回ふたりでやられてました。この定番はいまも変わってません。

 

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そして大学に入って、ようやくファンクラブにも入り、ついに現場デビュー。

私たちの”現場”は、偶然にも握手会のほうが先でした。

2005年の10周年で、大阪城ホールで5時間半並んで。握手した後は、近くのうどん屋で2時間くらい2人で放心してました。。。

そして次の日は初めてのライブ。ジャニーズのコンサートなんて、一般人が行かない別世界だと思ってたけど。本当に楽しかったな〜〜。どうしてもっと早く行かなかったんだろうって後悔しました。

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大学時代は、だいたい大阪2、東京2、地方2、と3箇所のライブに一緒にいくのがお決まりでした。いっつも現場ではオカダは近くに来なくて、だいたいひろしかイノッチを好きになって帰ってくるんですよね。笑

 

さらにキャッツの映画もあったし、ホールドアップダウンを見るためにめっちゃ遠い映画館までひたすら歩いたし(そしてオカダがかなり長時間凍っていて絶望したし)、

虹を架ける王妃」の放送前日?にいいともの観覧応募したら当たって、ゲストでドンピシャでオカダが来て友達と手を取り合ってめちゃくちゃ興奮したし、

遠征先の石川では後ろの方の席で全く見えなかったら急遽着席コンになったし笑、

D.I.S.にハマって梅田阪急の前の通りで2人で信号待ちしながら踊ったし笑、

大学の卒業旅行は北海道のきたえーるでVコンに参戦したあとトワイライトエクスプレス号に乗ったし。

本当に楽しかった。

元家庭科部の我々は、ボイジャーTシャツのリメイクもしました。

 

あと、公認会計士を目指す友人と一緒に予備校のパンフもらいに行ったら、表紙に載ってる男の人(横顔)がオカダそっくりで「本人!?」「いやまさか!?」「でもこの鼻筋やばない!?」と大騒ぎしたっけ…。

 

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V6は間違いなく、私の人生の縦軸になっていました。

 

 

そして社会人になるとき、私はひとつの誓いをたてました。

「V6の誰かを見るまでは辞めない」

 

東京のテレビの制作会社で働くことが決まって、めちゃくちゃキツい仕事だというのはわかっていて、親からも「3年経ったら辞めて帰ってきなさい」と言われていたし、堪え性のないわたしはきっとすぐ嫌になると思うけれど、でもV6を見るまでは絶対にやめないで頑張ろうと、それはちょっとした賭けのような、あるいは冗談のようなものでした。

なぜなら、働いていたのは報道の現場で、V6はおろか、芸能人なんてひとりも見かけない職場だったから。

 

でも数年目にV6のメンバーを偶然遠くで見かけ、さらに数年後にV6の全員をたまたま見かけ、わたしの目標は「V6の誰かと仕事をするまでは辞めない」に変わりました。

それは本当に天文学的な確率でした。だってV6と報道番組なんて接点が全くない上、わたしは記者だったからです。たぶん一生叶わない、って思ってました。

 

でも社会人になって10年ほど経ったころ、ものすごくいろんな偶然が重なり合って、V6のとあるメンバーとお仕事できました、わたしが作ったVTRを見てくれました、カンペも出しました。本当にしぬかと思ったし、今でもしぬかと思っています。その録画は何回みたかわからない。

 

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そしてV6解散の一報をきいたのは、初めてチーフディレクターを担当した番組の収録が終わって、カンペをもつ手が疲れすぎてガクガクになって、震える手でスマホの電源を入れたときでした。あの時のあの光景は一生忘れないと思います。

私の人生の節目節目には、いつもV6がそばにいました。

 

 

 

あと社会人になってからも勿論いろいろありました。

肉パンを模したウチワを作っていったら、近くに肉パンの4連がいて完全に負けたこと(しょーもな!)。

結婚するつもりだった相手と別れて引っ越して、家具のない部屋でハードディスクの配線がまだ出来ていないなか初披露されて、床に座って見たwait for you。

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今までは1名義で何公演も取れていたのに急にチケットが取れなくなって、入れなかったけどグッズだけ買いに行った2015年のアニバコン。

めちゃくちゃブラックな部署で週3徹夜してたせいで行けなかった、2015年デビュー日の代々木。

あ、あとセクバニコンあたりから、じわじわと健くん単担に戻りました。時はサークルを描く、ということか?笑。

 

そして今年のコンサートも、いつもの友人と一緒に参戦する予定です。

母になり、もうすぐ海外赴任する友人と、そろそろ第一線を退く代わりに海外大学院の受験勉強に本腰を入れ始めたまだ独身の私。

 

 

これが私とV6の26年間です。

あの時10歳だった私は35歳になり、自分の居場所も世の中も随分変わったけれど、V6のことが大好きだ、という気持ちは何も変わらずにここまできました。きっとこの先も変わらないと思います。V6が6人で集まって何か新しいものを発信する機会が失われてしまうのは途方もなく淋しいけれど、これからも6人のことを応援し続けるし、この先の私の人生にもV6は必要不可欠な存在です。

 

V6のみなさん、今までありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

V6に出会えたことは私にとって宝物です。

最後に、わたしがいちばん好きなV6の曲を添えて。

 

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(なんか楽しくなってたくさん動画埋め込んでしまってすみません〜!)